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Pedro, Mika , Kentaro サルサを語る!! その3

2016年7月28日 ダンススタジオカッシーノにて

協力:すえめぐさん by クラウドワークス


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コンペティションの幅を広げる Over 65

 

Kentaro:コンペという話でいうと、ちょっと前Pedroにも相談したことがあったんだけど、マイアミのワールドラテンダンスカップでセイムジェンダー(オーバー65の間違い!)というのがあって、それがここ2、3年すごく盛り上がっているんだけど、やっぱりみんなアマチュアなんだよね。

だけどアマチュアの人が、欧米人というのもあるんだけど、やっぱり舞台の上での表現力というのはすごいから、アマチュアでも。すごく楽しそうにやっているんだよ。それは日本の今の、失礼だけど、ちょっと年のいっちゃったダンサーたちの…

 

Pedroセイムジェンダーじゃなくて…

 

Kentaro:すみません、オーバー65。これは1つのテーマというか目標になるんじゃないのかなと思って。それは決して、あなたはこれ以上高く飛べないでしょう? 速く走れないでしょう? だからシニア行っちゃいな、という意味じゃなくて、あなたこれだけずっと長年、十数年、踊りの技術の蓄積やっていたんだから、それを昇華して、新しいアピールの仕方で何かやってよということを、コンペとして、それもバックアップしたいなと思うんだよね。

それは決して肩叩いているということではなくて、新しいステージに行ってくれ。だからオーバー65というのは、1つのすごくヒントになっていて、何か今の日本の今までコンペを支えてくれていた人たちの、じゃ、次の新しいステージというのはそういうことじゃないかと。何かそれってすごく日本的ないい持っていき方なんじゃないのかなという気がするんだよね。

 

Mika私思ったのは、あれ(オーバー65)がペアだけじゃなくて、チームもあればすごくいいなと思っていて。日本には出れるチームいっぱいあると思うんですよ、あれに。適合するチームいっぱいあるし。

やっぱりペアで練習をしていくというのって、すごく2人の世界に入らなきゃいけないから。特に年を取ってから、自分の相手じゃない場合、家族じゃない場合って、結構それぞれの相手からも嫌がられるし、そういう状況もあるじゃない?

チームだったら、みんなで仲間として同じ年代で頑張って世界目指そうよ、みたいな、何かそういうのがあったら、もっとやりやすいのかなと思って。

 

Kentaro:フィジカルなところでのコンペティションというのは、おおもとであったにしても、それだけじゃないところを求める、志向するというのもありなのかなと。

 

Mikaだって、元気なシニアいっぱいいるし。

 

Pedro自分たちがシニアになったということであったりとか、さっきMika先生が言われていたみたいなクラブの最初の底辺の部分、一番入口のところを理解しようとしたときに、そこにずっと、日本にいたら日本のよさがわからないのと同じように、ずっとそこにいるからわからないじゃない?

踊りにしてもそうだけど、自分もそうですけど、自分が年を追っていっているということは、やっぱり子供たちから教えてもらう、できなかったことができるようになる、できていたことができなくなっていく。

それで自分、ああ、年を取ってきたんだなというふうに理解できて、そうしたときに、自分はどういう踊りを目指せばいいんだということを考えるんだけど、パフォーマンスをしていて、パフォーマンス終わった後にソーシャルに行ったときに、ソーシャルってこんなに楽しかったんだなとかを認識するというのは、多分外へ出たからわかること。そのサルサの中でも、外へ出たからわかること。_DSC0095

でも、今は、みんなが1カ所にずっといて、同じ人たちがずっと回っている。これは多分、どこの地域も同じだと思うんですよね。そうしたときに、自分がどこにいるのか、自分の立ち位置が認識できない。だから余計にこれの大切さすらもわからなくなってしまう。だからスタジオなのか、クラブなのかの区別もつかなくなってしまう。

すべてが、同じ人たちで、同じ地域で、同じことをずっと回っているということが、やっぱり問題なのかなと思うね。だから、さっき言われていたみたいに、ペアダンスのチームとしてのコンペティターを育てるとか、そういうコンペティションとかの意義も、ただ競争しましょう、私たちが抱いている社交ダンスの球技との違いの意義もちゃんととらえていかないと。

私は社交ダンスの競技すらもどういうふうにとか、あとバレエのコンテストもどういうふうに行われているというのは、具体的にはわからない。

私はサルサ出身で、サルサしかやっていなくてといったときに、だからサルサのコンペティションつくりたい。その環境整備の一環としても、シニアとして子供たちがどういうふうに活動したら、若い人たちにどういう影響を与えるのかとかということができれば、普通にサルサ踊っている一般の人たちも、年を追っていったら、どういう踊りに変えていくのかという、その誰かの背中でそれを示していかないと、誰もわからない。

で、わからないではもう済まないというのは、人がどんどんやっぱり減ってきているというか、アジアの環境をも見ても、今後どういうふうになっていくのかも読めてしまうような日本になってしまっている、今はもう。先を行っているのか、後退しているのか、私にはわからないですけども、そうしたときに、もうリミットだと思うんですね、変えていかないといけない。

こういう話も、私も何年か前にコンペティションでたことありますし、いや、競争はしたくないですよねと思いつつ。で、自分が出ろと。「うーん」(笑)とやっぱりうなります。

でも、やっぱりプロの方でも今回のように出ていただいたり(Edwin & Naoko)したときに、やっぱりそういうふうに言っていたらダメなんだなとか、、だから来年出ますかって、出ないですけど。〔笑声〕

 

Mika先生、裏方で働くから。

サルサにおける裏方仕事>>社会との接点としての教育、環境つくり

 

Pedro私は裏方で働きたい。何かこの世界にチャンスをいっぱいいただいたので、何かで返したい。でも、みんながそういうふうに、きれいごとにしかならないと思うんですけど、でも中で、ビジネスの話もしっかりと進めていって、先生方がお金をまずしっかりと稼げる状態をつくりたい。

でも、それには、先生方もしっかりとしないといけない。ダンサーたちがダンサーとして生活が成り立つ。これはもうどの世界、どのダンスのジャンルもとても難しいことだと思うんですけども、これも諦めずに進めたい。

また、サルサやって、さっきMika先生が言われていたように、学校として成り立っていけば、サルサをやっている。

じゃ、使えますねと、ほかの業界からすぐ引っ張られる。バレエであったり体操のように、「じゃ、これ大丈夫ですね」という、ある程度のイメージがそこにつけられる。そういう世界にしたいといったときに、必要なものは、さっき言われたようにこう、こう、こう、こうってもう幾つかも必要で、それを今1つやったから、これやめておきましょうと問える状況ではない。

もうすべてをやっていかないと間に合わないというは、多分そのままいくと、ああ、そういうダンスもあったねということになってしまうんです。もう10年先に、じゃ、コンペティションの話すらできない。

 

Kentaro:「そういえばサルサって流行っていたけどどうなった?」みたいな。それは現実味を帯びる悲観的な気持ちもちょっとあって、もしそうなったらやっぱりやっている者としては、本当に悲しいことだから。

 

Pedroこういう会話にしても、多分1カ所で踊られている方たちにしては、とても、いや、そんなことはないよと多分思われている方がいっぱいいて、で、実際にそこには人がいて、みんなでいつも踊って、「楽しかったね」と言って帰れる状況なんだから、変える必要はないと思われると思うんですけども、

でも、私たちが同じ立ち位置で遊んでしまうと、私たちはプロのインストラクターとは言えないんじゃないかなと思いますよね。だからそこで1つ、それにいろんなご意見はあると思いますけど、やっぱり恐れず進みたいというふうに。

だから、それの最初の1つのコードとしてコンペティションというものを、これからやっぱり発展させていきたい。でも、これだけじゃなくて、もうキッズの育成、キッズを育成するということは、学校がある手前、たくさんの知識が必要になるので、先生が必要になる。その先生たちをまたどういうふうにこの世界で育てていくのか。それもやっぱり考えていかないと。

 

Mika私のところにもいろんな意見来るけど、私たち小さいときから日本で育って、どこどこの小学校でました。どこどこの中学校でました。それが区立でも私立でも、どこどこの学校の何々ちゃんとか、あと大学行ったら大学、専門学校行ったら専門学校とか、すべてそこに所属した上で、どこどこの何々さん。さっきPedro先生がおっしゃったみたいに。

その中で、自分1人が一匹狼でどこにも所属しないでできる人って、よっぽど強い人だと思うんですよね。

ものすごい人数いた中の本当に1人か2人、自分で目標設定もして、自分で自分の管理をしながら進んでいく人って滅多にいないじゃん。

で、たまたま今までのサルサって、いろんなところのパイオニアみたいな人たちがそろっていて、たまたまそろっていただけで、じゃ、今後もそういう人がここに来続けるかというと、そういう変わった人というか、すごく強い人が集まるときって、業界自体にものすごくパワーがあるとき。

新しくて、何か興味があるといったとき、みんなわっと集まるけど、そういう人たちは離れるのも早いというか。

だから、何かこの世界を継続していく、広く長く継続していくという意味では、広く浅く、でも長く歴史に残していきたいと思ったときに、やっぱり何らかの日本のシステムに合っているというか、何か型にはまりながら楽しみたいという人。

 

学校教育としてのダンスとは?

 

Kentaro:今、中学校の授業で必修化しているじゃない、ダンスって。あれに入るにはどうすればいいの? 学校の先生として、あるいは非常勤でぱっと行けるものなのかね?

 

Mika行けない、行けない。_DSC0045

 

Kentaro:まず学校の先生にならなくちゃいけない?

 

Mika教育委員会のほうに行って。

 

Pedroあれ自体のカリキュラムを持つことは多分できないんだと思う。でも、クラブ活動的なものに入っていくことはできると思う。

 

Kentaro:俺、文科省のホームページ見たんだよ。そうしたら、リズムを養う、コミュニケーションをとるようにする、あるいは自分を表現するって書き方をしているのね。そこに、ヒップホップ、フォークダンス、コンテンポラリーというのが、あてはめてある。

 

Mikaサルサはフォークダンスなんですよ。

 

Kentaro:フォークダンスに入るんだよね、多分、メレンゲとか。コミュニケーションダンスだと思うんだ。だとすれば、どうやってそこに入るのという。

 

Mika各教育委員会に行かなきゃいけない。文科省から流れるんじゃなくて、各都道府県や市区町村の教育委員会に。

 

Kentaro:それこそそういうところに、サルサの先生、メレンゲを教えますとか、何かできないのかなあというのはすごく思って。

 

Mikaやっぱり私たちがまだまだ組織化していないので、教育委員会、子供に直に携わる先生って、「どこの所属の誰ですか?」というのが、私たちまだ言えないんですよね。

 

Kentaro:ニイダ君の奥さんは…。

 

〔「はい、小学校」の声〕

 

Kentaro:中学校からか、ダンスは。

 

Mika中学校の先生も生徒さんいて、あれ自体、すごい難しいって言っていて、いろんなカリキュラムあるんだけど、実際に体育の先生では教えられない。

時々父兄の中に先生とかがいて、例えばこれ教えられますとかといって、どこどこ協会から来ましたとかというのはあるんだけど。

あとはストリードダンスはストリートダンス協会。何万人っているんですよね。だからそういうのがあって、なかなか難しいと言っていた。でも、本当は入れば一番。

 

Kentaro入り込みたいというか、やっぱり突破口として、…。

 

Mika今、メレンゲとサルサ入っているから。

 

Kentaro:だから、何か入れたいというか、本当に、例えば来年とか再来年ぐらいに、どこか(の学校)でサルサで誰それ先生に。

 

Pedroそれをするにも、まず前例をつくっていかないと、ただ入っていくというのは。

 

Kentaro:だから、その前例を…。

 

Pedroそれをするために、インターナショナルスクールとかに売り込みをして、こういうのを教えたいんですというのを言っても、やっぱり子供に直接携わることだから、すごいカットが厳しい、やっぱり。

 

Kentaro:カットというのは。

 

Pedro厳選されます。どういう人で、踊り自体はどういうものか。団体はどういうものか。本当に…。

 

Mikaで、その人がどこに出入りしているかとかというのも。

 

Pedroただただやりたいと言ってできるものではない。でも、それを証明していくには、何かやっぱり子供で証明するしかない。でも、それは10年前から言っていること。ずっと言ってきた。

 

Kentaro:とっかかりがものすごく難しいとは思っていて、そんなに簡単にできることではないかなとは思うけど。

 

Mika逆に、学校自体は消えないから、それだけはちょっとゆっくり見据えて、まずは私たち自分たちで子供育てて、こういう子になりますよじゃないけど、その成功例を見せないと、学校側も親側も。

 

Kentaro:まあね。実績がないとなかなか、もちろん、お役人だから、余計そういうところは慎重だというのはあるけど。

 

サルサをつづけた将来にあるものは?

 

Mikaあとは、私が思うのは、私が親でも、ヒップホップやらせたら、将来像がすごく広がるけど、サルサやらせたからといって、クラブに踊りにいくぐらいだよねみたいなふうにちょっと思っちゃうかもしれないんですよね、自分の子供がいたら。

 

Kentaro:そこだよね。そこもあるよね。

 

Mikaやっぱり将来につながる何かをさせてあげたいというか、経験させたい。

 

Pedro本当は自分の子供を入れたいか、入れたくないかと言われたときに、「うーん」ってなりたくない。

この間インストラクターの方から言われたことがあったんですけど、自分(Pedro)は子供ももっとやりたいと訴えたときに、いや、自分の子供は絶対サルサはやらせたくないと言われた。じゃ、何で教えてんの?って(笑)。

それで、本当に理解に苦しんで、それに対して。悔しい反面、何て環境が整っていない。インストラクターの環境自体が整っていない。

 

Mikaでもやっぱり一番は、私が思ったのは、多分中村〔HIDE〕君も慶子〔PEKO〕ちゃんも、お母さんたち、親たち、ここのスクールなかったらやらなかったと思う。

だから、どこをベースとして、どういう人たちが来ていて、自分の子供がどういう輪の中に入るのかとかというのを、やっぱり親御さんにきちっと説明できる状態にしないと。

 

Pedro本当、そう思います。

 

Mikaゆくゆく、本当に、子供を育てたいと思う先生と、あとはサルサ業界をずっと継続させていきたいという思いのもとに動いてくれる先生たちが集まって、1つでいいから1個を信頼できる、ただのダンススタジオじゃなくて、アカデミー的な、学校、あそこの学校があるとかさ。というのを、一言名前いえば、ああ、ランテダンスのあの学校ね、みたいな。あくまでも本当にダンスを学びに行く場所という。

そこを卒業したら、こういう選択肢があるよとか、別に全員が全員ダンサーになれという環境はどこの世界にもないから、才能がなかった普通にまた違う道を選べばいいし。だから何かそういうのがあると、ちょっと学校教育にも入りやすいし。

 

Pedroその違う道もあるよといったときに、ちゃんと礼儀とかも教えていることが大切で、それをしていると、親は納得する。そこまでちゃんとしてくれているんだったら、続けていてもダメでも普通に生活できていたらとか、

普通の生活の中で、周りの親御さんからの評価も、その子に対して、あの子は元気がよくてとか、当たり前のことですけど、挨拶ができるとか、報告ができたりとか、ちゃんと連絡をしないといけないときは連絡をするとか、時間に遅れないとか、そういうことがちゃんと守れていくと、_DSC0115

私子供いないんですけど、自分の犬が――ごめんなさい、例えが悪いと思うんですけど(笑)。

でも、子供のように愛している犬がいまして、私には。元気に走っている姿を見るだけで嬉しいんですよ。

それだけで仕事頑張ろうかなと思えるんですよ。それだけで、(鼎談当日の)連絡のない村山健太郎からのオファーが来ても、「しようがない、またやってあげるか」ってなるんですよ。

それで何か先がよくなるんだったら。でも、何かやっぱり子供が行って楽しくないというか、結局何かその組織がうまくいっていないところって楽しくないわけじゃないですか。

子供が行っても親が行っても楽しくないと思うんですけど。親がスタジオを見にいったときに、子供がキャッキャ言いながら、でも一生懸命やっている。

怒られながらも一生懸命やっている姿を見ただけで、多分親は、この子はこれがやりたいんやなって、一生懸命入りたいんだなと思うことが認識できると、やっぱり走らせてあげたい。

 

Kentaro:その雰囲気をつくるのが、やっぱり「プロ」じゃない?

 

Pedroもちろんそれは普通では多分できないと思うし。けども、そういうことの前例を積み重ねていって、初めて学校教育に入っていけたりとか、その意味を、私たちがはっきり説明ができる。

こういう子供がいるとか、こういう世界になりました、こういう世界なので、今から取り入れてもらえませんかとか、初めてそれで話ができる。

でも、個人として話が、さっきの1人で何ができるんだみたいな話で、そんなに強くて、すべて揃っている人なんかいない。

その中で、自分ももう個人で動くのが限界だと思っているし。

田舎に廃屋になったような建物とか、都会でそれをするのは大変だけれども、少し離れたところでそういうアカデミックなものをつくれればなと。

 

Kentaro:何とか道場じゃないけど、そういう。

 

サルサアカデミーで教育と日本のサルサ人を育成する?

 

Pedroそこに入れていれば、ちゃんと教育が受けられる。でも、だからといって全寮制みたいなものではなく、おうちにちゃんと帰ってもらってでいいと思うんですけど、何かそういう…。

 

Mikaそういうのは絶対に必要だと思うんですよね。全日制とかでなくても、週末だけでもいいし、ただ、やっぱり、夢はああやってどこでもあるアカデミーみたいものが1個でもあれば。

それが1回成功した例をつくっちゃえば、それをみんな目指して下の子たち頑張るし。

 

Pedroそういう前例があるんだったら、それを勉強して、そういうアカデミーの上には舞台があって、まずは簡単に目に見えるものをつくってしまう。

で、この子たちはほかにも道があるとしている中で、このアカデミーがあれば、多分ここで踊っていた人はここへ教えにいけたりすると、また仕事もあるし、単純な話だけども、やっぱりチェーンをしっかりと組んでいくことを。宝塚みたいなね。

 

Mika教育のちゃんとした子が外に派遣されないと、例えば派遣された先で遅刻してきましたとか、挨拶できませんでしたとか言われちゃうと、もう一気にその派遣の仕事はなくなっちゃうから、そういうのが1個ずつの積み重ねができればね。

 

Pedro本当、そう思います。当たり前のことが当たり前にできて、プロフェッショナルな専門技術を持っていると。そういう人を育てれば。私たちの時代で全部を一生懸命回していったとして、到達できる一番最終のところじゃないかと。

その次の世代は、もっと先へ行けると思うけども、多分自分たちが踏み台になるのは今がもうリギリのような気がするんですよね。

 

Kentaro:どの辺までできそう? あと例えば5年、10年。俺があと10年したら60だから、60超えて、何かもうやりたくないんで、もうちょっと楽にみたいな――楽じゃないけど。

 

Pedro私はもう、白髪になっても歯が抜けても、どうなっても、死ぬまで働きたい。

 

Mika現役だな。

 

Kentaro:例えば10年先、5年先で何かどこまでができるのかねと。ちょっと不安に思うんだよね、やっぱり。本当に。果たしてこれで5年やっていて、どう変わっているのかなと。

 

Mika私たちが本当に今頑張らないと、どんなに今の中高生の子を育てたとしても、就職のときやめちゃうと思うんですよ。

そうすると、一般にサルサを楽しむ愛好家が増えるだけで、きちっとしたプロが増えていくというわけじゃないから、やっぱりここ5年の間にある程度プロになりたいなと思う子がなれるような土壌づくりはもうめちゃくちゃ急いでしなくちゃいけなくて、でも、それは今の私たちが頑張れば、できないことじゃないなと。

(今私には)子供がいないから、小さい子をいっぱい集めて、どんどん教えていくという作業はちょっと難しいけど、それは本当に、例えば自分の子供がいたらママ友とかに言って(笑)。

ちょっとみんなで集まってやりませんか?とかと言えるんだろうけど、

そういうのもできないから、本当に一から信頼してもらって預けてもらえるような、そこからやらなきゃいけないから、難しいかもしれないけど、でも、それも同時にやりながら。

あとはやっぱり、今の状況だと、ダンサーではなくて、卒業したらインストラクターになるという仕事になっちゃうんですよね、私たち。

でも、インストラクター業と、本来あるべきダンサーというのは、全然トレーニングが違っちゃうから、すごい中途半端になっちゃうと思うんですよ。だから、最初のうちはしようがない。誰でも食べていけるまではアルバイトしながらとか、絶対にやっていかなきゃいけないことだからしようがないんだけど、

でも、最終的な目標を言うと、ここは絶対に離れるべきで、ダンサーであるべき人と、それがいろんな一般の人に夢を売る人。

この人は自分を商品として頑張ってもらう。で、こっちのインストラクターであるべき人たちというのは、限りなく知識と指導力を学んで、的確に育てていける人というのが育っていけば。

 

Pedro今なんてもう振付もやらないといけない、指導もやらないといけない、管理もやらないといけない。で、それに自分も踊らないといけないみたいな、こんなの無理なんですよ、絶対。だからこれは必ず分業して、分業ができれば多分、プロ社会として成り立っていく。

 

Kentaro:それだけできるスタッフが養えるということだもんね、分業できるということは。

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つづく

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