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Pedro, Mika , Kentaro サルサを語る!! その2

2016年7月28日 ダンススタジオカッシーノにて

協力:すえめぐさん by クラウドワークス


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JAPAN CUPの夢

Mika私がジャパンカップをつくったときの夢は、もう7、8年前になるんですけど、日本のサルサ業界の中で、コンテストはあったんだけど、競技会みたいな、私社交ダンス出身というのもあって、競技はやってきたんだけど、すごく賛否両論というか、いろんな意見がある中で、社交ダンサーのラテンをすごくきっちり踊る。

決められた、みんな同じみたいな感じで踊る世界で、サルサと社交ダンスは違うじゃん、みたいな意見は多いんだけど、両方自分の人生の中で経験して思ったのは、サルサにもすごくいいところがあって、ただ、サルサ難しいのは、既に何か技術を持っている人がサルサに移ってくると、ものすごく楽しめる世界なんだけど、サルサだけでトップに立ちたいと思ったときに、夢のある若者が来たときに、その技術だけではどうしても上に行けない。

横の世界から入ってこられちゃうと、どうしてもこの人に負けちゃうというか、幅であったり、身体能力の差だったりというのは、どうしてもまだサルサ業界、アカデミックなそういうのが、教育システムがないから、どうしても負けちゃう。

 

_DSC0032そういうの (サルサ出身の人が負けないようなもの) をすごく自分の先でやりたいなというのを思い描いていて、こうだったらいいな。何かサルサだけ始めてもうまくなれるような世界があったらいいなというのが夢で、でも、まだ若かったので、そんなはっきりは、こうしたらいいというのがわからなくて、

でも、コンペで何かちゃんとしたフィードバックがもらえて、自分の次の練習に役に立つコメントを信頼できる人からもらえるような、そういうチャンスがあって、プラス、その当時でいうと結構海外に出ている人も多かったので、その海外に日本代表として出る前に、いろんなコングレスとかに出る前に、もうちょっと日本国内で技術をつけるというか、そういうのがあったらいいなと思ってやったのがジャパンカップで、ちょっとうまく話がまとまらないんだけど、それが夢。

 

だから自分のサルサ業界として、アカデミックに、ジャズとかバレエとか社交みたいに、そこのジャンルに入ったら一応成長できるというシステムがサルサ業界にもあればいいな、将来。

それにはどうしていけばいいのといったら、まず、それを育ててくれるインストラクターがいっぱいいなきゃいけなくて、それを育てる人をつくるために、コンペでまず技術を磨いてみたいな――という感じでやったんですね。

ただ、なかなかやっぱり大会とかの経験がないところで、ああやって人に採点されて、それもあの当時のサルサ業界で人に採点されるのは嫌だという人とかが多い中で、結構難しくて、だからそれを考えると、最近、世代が移ったというのもあって、あ、そういう意味では参加者がいろんな意味で、いろんなところで増えて、

ジャパンカップ以外にも、この間のペアコンも大成功だったし、あとRYU先生のところのバチャータ協会のコンペも最近増えているし、そういう意味では、すごく世界が変わってきたんだなあという、

何かやっと自分の世代よりも1個下の世代になって、増えてきたというか。だから今度は逆に、今のうちに自分たちでもっと勉強して、出場してくれた人たちにきちっとしたフィードバックができるようなシステムというのが、私たちで勉強会とかそういうのができたらいいなと。

 

Pedroもう本当そうですね。それは統一したやっぱり観念を持っておかないと、統一したフィードバックはできないから、この先生に聞いたらこう言う、別の先生に聞いたらこう言う、どれを信じればいいのかわからない、ということにはならないように勉強、そのコンペのルールとしての勉強をしていかないとだめですよね。

競い合う前提としてのルールづくり

 

Mika何か派閥じゃなくて、サルサ業界全体として、コンペに出たら、これは全員そろって持っていようねというイメージ。

だから、今の状態だと、ソーシャルが得意な先生、あとコンペが得意な先生とかといて、その先生によってフィードバックが違ってきちゃう。

何かもっと技術よりも感情表現を豊かにしたほうがいいよとか、ここはもっと力を入れずにこうやったほうがいいよとか、ここはもっと情熱的にやったほうがいいよ、もっと激しくみたいな。

そうすると、選手一同が「え、どうしたらいいの?」みたいな、逆に本来、このフィードバックをもらったことによってためになって、自分の練習に活かせる予定が、フィードバックもらったことによって…。

 

Pedro迷うんですね。

 

Mikaそうそう。迷って、余計ぐちゃぐちゃになっちゃうみたいな。

 

Kentaro:言い方を変えると、例えばジャッジの審査基準みたいなことじゃない?

そこはうち(SHJ)のコンペでもみんな話していて、難しいところではあるんだけど、その枠組みは何となくできそうかなと思うんだよ。回を重ねることによってね。

やっぱり各審査員の裁量に任せる形にはなっちゃうけど、それはそれで、このポイント、このポイント、このポイントで見てください。あとは皆さんの裁量に任せますというので、最初数年間はしようがないというか。

 

Pedroそれは多分そうだと思うんです。10年先にその会話を聞いたときに、こんなことやっていたんだというふうにならないと結局はだめで、それがその10年先も同じ会話をしていることのほうが恐ろしい。

 

Kentaro:それは確かに。

 

Pedroだから、今ので言うと、規定を組んでいくとしたときにも、インストラクター自体の、極端に言うと体がやわらかい、固いとか、筋力が強い、弱いとかだけで、それだけで観念が変わってきてしまう。

だからそれを統一しないと、ある程度。あと、やっぱり体重の重い人、軽い人では踊り方もやっぱり違うし、そのあたりまで突っ込んでいかないと、コンペってすごく難しい。

というのは、微妙な採点になったときに、どうして自分が勝ったのか、負けたのかということをクリアにしてあげたい。

クリアにしないと、モヤモヤしてただ終わりましたみたいなことが、この先に続かないように。

 

Mikaジャッジの裁量に任されると、その人自身に責任を負わせることになるんですよね。

でも、そのジャッジはもしかしたら自分の経験をもとに、本当にこの人によかれと思って言ったことが、感情でとられちゃうと、全然違ったものになっちゃうから、それが全体として、これはこのルールで決まっていますよ。

それをもとに私たち判断していて、それをやると、今度この人たちが大会に出る前から、教える人がそれに合わせて教えてあげられる。

準備の段階でかなり変わってきちゃう。

 

Pedroそれをちゃんと整備できるとすると、何か今までの自由裁量で誰でもこう教えていくということ自体も変わってくるかもしれないね。

というのは、もう基準値が決まってしまって――決まってしまっているという言い方がおかしいけども、コンペに関しては、これはもうだんだん基準が決まってくると思うんですよ。でも、ソーシャルとはまた違う線にはなりますよね、必ず。

だからそこをちゃんと押さえた上で話を進めていくとすると、やっぱりコンペというものがある程度規制(規則)の中に、コンペというもの自体にルールがあるから、規制がかかっているということだから、そうすると、やっぱり言及できるかどうかは微妙なんですけども、以前言われたライセンス制であったりとかいうのも、現実味が出てくる。

というのは、どうしてもいろんな、それも派閥というとまた話が戻ってしまうんだけれども、発展させる上で、これだけの団体が一緒にやりましょうといったときには、統一したものをつくっていかないと、やっぱりだめになる。

今までバラバラでやっていたものだから。それを統一すると、どうしてもやっぱり恐ろしいところもある。統一されることによって、今までやっていたことを否定される部分が必ず出てくるから、でもそれにやっぱり、プロフェッショナルなんだったらフィックスしていくしかない。もうそれはやるべきことをやる。

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Kentaro:その辺のバランスというかとらえ方って、昨日Mitsueさんと会って、、こういうよもやま話をしたときに、Mitsueさんも社交(ダンス)出身だから、コンペがやっぱり非常に厳しくて苦しくて、私は、サルサやっているのに、こういうコンペの(審査員の)話が出てきて、最初はすごく嫌だった。

だけど、このコンペを通して、2回目見て、ものすごいエネルギーを感じて、これはこれで指導者として、何かしら自分ができることがあるんじゃないかというのをすごく思いましたということをおっしゃってて、それはそれですごく嬉しかった。

でも彼女自身の中では、どこまで基準をつくっちゃって、枠にはめればいいんだというところもすごく悩んでいますということは言ってた。

僕が思うには、あくまでもコンペという1つの枠組みというか、要はリングの上で戦っているわけであって、そこはちゃんとリング上の規則は守らなくちゃいけないけど、リングの外は全然自由だよということをやる人が押さえてくれていれば、サルサのその自由性みたいなのが保てるんじゃないかなと思うんだけど。

社交ダンスから学ぶべきもの

 

Mika私はコンペとか大会って一種の教育システムの中の一環だと思うんですよ。それのやり方が、同じ学校というものに通うんではなくて、コンペという一個の大会を通して、それに向けて目標で、自分の技術を鍛錬して目指す。

それで結果がすぐに出るもの。その結果に基づいて、また自分の練習方法を変えて上達できるように目指すもので、自分の個々のプロフェッショナル性とは全く別物だと思うんですよね。

何でかというと、私自身がコンペの世界で生きてきたけど、でも、どちらかというと私、背が伸びなくて挫折したほうなんですよ。そのコンペの世界には合わなかった。

でも、自分としては本当はやりたかったけど。だからそういうものだと思うんですよね。

ルールがあって、そこに合わない人は抜ける。

でも、それがすべてじゃないから、例えばMitsueちゃん然り、私も然り、社交の世界には合わなかったけど、じゃ、サルサの世界に来てみたら輝ける場合があった。それがコンペではなくて、パフォーマンスという場。

そのパフォーマンスという場というのは、自分の芸術性をあらわすものだから、誰にとやかく言われるものでもないから、そこで私たちプロは自分自身を表現すればいいと思うんですよ。

生徒さんを育てるとか、または自分が若手でこれから育っていきたいというか、人にまだ認められたいとか、自分の肩書きを持つために使うのがコンペだと思うんですよね。

 

Pedroそのコンペティションを経験されていた方の話は、多分それに何かいろんな思いがあって、そこを離れた方であったり、そこの道をつないでいく方という、それはコンペティションがあるから選択できるんですよね。

私みたいにコンペティションを知らない人間、外から来た人間は、それが何かもわからない。そうしたときに、選択肢がない。私たちはこれがいいと思いますじゃなくて、これだけありますから、あなたたちが選択してくださいということが多分マーケットを広げるポイントかもしれないですよ。

だからさっき言ったみたいに、プロフェッショナルの性質を追求するんではなく、まず私たちがやらないといけないのは、今環境整備の話が出てきましたが、そこにプロフェッショナルと言われる人たちの好みは要らないんですよね。場を設けてあげること。

今私たちは多分、パイオニアのほうだと思うんですけども、その人たちが、この道しかないですよといったときに、全員がこうやって抜けていかないといけないというのは、あまりに窮屈。でも、やっぱり競争したい人もいるし、その競争してからサルサの本当の楽しさを知る人もいると思うんですよ、実際に。だからもう少し幅を持たせたいですよね。だからこの個々の好みを言い出すと、また元に戻ってしまうので。

 

Kentaro:それで同時に思うのは、それこそ近いところでは社交ダンス。うん十年前社交ダンスも今のサルサと同じような状況で、コンペというか競技会をやるということで今に至ってきたと思うのだけど、今やどっちかというともう我々のイメージって、社交ダンス≒競技じゃない?

前「社交ダンスの人ってフリーダンスないんですよね?」と、すごく失礼なことを言ったら、「そんなことありませんよ。ありますよ!」って怒られちゃったんだけど。〔笑声〕そのぐらいのイメージでみんな(サルサの我々は)思っちゃっている。

それを見て、あ、嫌だって思う人ももちろんいるし、でもそこは、社交ダンスの人たちに、そこ(社交ダンス≒競技と思われること)も聞いてみたいなとは思ってはいるんだよね。

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サルサの楽しさ、クラブダンスのよさとは?

 

Mika私、サルサのいいところは、インターナショナルなところだと思うんですよ。社交ダンスにはないところ。やっぱり私がサルサに入ったきっかけは、本当に外人が多くて楽しかったというか、日本にいながら外人ばっかりじゃん、みたいな。

社交ってパートナーも決まっているから、その人としか踊れないのに、サルサは1曲ずつ替えられるじゃん。それでいて若いときはクラブで毎日遊べるし、安いし、いろんな音楽かかるし、サルサだけじゃなくて、男の人が替わると、全部踊り方のスタイル変わるから、それがすごい楽しいし、リフトとかもあるしみたいな。

だから絶対にそこの場は必要で、だけどその楽しみ方のレベルがいろいろあったように思います。

あと、、昔のクラブのほうが(客層が)若かった気がするの。だって、みんな近い年だった気がするの。だって、〔村山〕健太郎さんと私がいたということは、今から10年前だと10歳若いわけじゃん?

 

Kentaro:20年前。ちょうど俺今年の8月4日で20周年。

 

Pedro私が15年ぐらいですから。

 

Mika私も20だ。早い。10年だと思っていた(笑)。時間がストップしていた。

 

Kentaro:ひとりパーティーやろうかなって思っているんだけど(笑)。

 

Mikaひとりパーティー(笑)。だけど、あのときそんなにおじさんいなかった気がするの。20代前半で「うわ、楽しい」と思った、あの(当時の)はっちゃけ度というのはないと思うんですよ。

 

Kentaro:ないですね。確かにそうなんですよ。

 

Mikaだって、毎日夜中まで踊っていたし。

 

Pedro私は関西なんで、行く車、道中の車から音楽聞こえた。

 

Mikaそうそう。

 

Pedro「あれどうやって料理したんだろう」って、そんなことばかり考えてた。

 

Kentaro:そうでしたね。

 

Mika毎日朝までクラブにいたし、何かそういうのを、最近本当に感じたのは沖縄のクラブだけ。「うわ、楽しい」と思ったのは。踊りがうまい下手じゃなくて、「楽しい」という。ラテンで、メレンゲでもバジャータでも、ポップスでも何でもいいみたいな。

 

Kentaro:それは、古い人みんな言うんだよね。

 

Mika何か最近は練習場みたいな。

 

Pedroソーシャルの場がコンペティションみたいになっているときがあって、それだったらソーシャルじゃなくてコンペ出ればいいって。

 

Mikaそうなんですよ。

 

Pedroでもジャッジはされたくないっていって、うーんってなるんですよね。

 

Mikaあそこまで真剣に踊るんだったら、ジャパンカップと変わりないじゃんみたいな。それもあそこまでも汗だくになって。

 

Kentaro:毎日のようにパフォーマンスの練習したりとかしてるわけじゃん。そこまで投資してやっているんだったら、だったらちょっと試してみたらどう? とかさ。それはそう思うよ。

 

Mika昔楽しかったのって、クラブ行くのって色恋沙汰があるから、おしゃれして毎日、ちょっと汗かいたら着替えてとかして行ってたけど、今のクラブって別に色恋沙汰もないじゃない? だって、知っている者同士だし、絶対に恋愛に発展しないみたいな。そんな中であんなに踊り込んで、何が楽しいんだろう? みたいに思っちゃうのね。

 

Kentaro:自分自身はもともと雰囲気重視でサルサ入ったから、ダンスは二の次、三の次だったから。

 

Mikaそうそうそう。

 

Kentaro:だけどやっぱり…。

 

Pedro今もそうじゃないの?

 

Kentaro:まあまあまあ、それは今もそうですけど…。〔笑声〕

 

Mikaだから、私が思っているのは、クラブ文化ってものすごい大切で、あれ入口としてものすごい、ほかのペアダンスにはない明るい楽しさだと思うの。

タンゴってミロンガとかあるけど、あれもやっぱり踊れないと入りにくいのと、習わないと絶対できないし、社交ダンスも、できると言いながら、あれもそんなにできないんですよ、踊れる人とじゃないと。あと、ちょっと入りにくい。

でもサルサって、例えば友達と、「ねえねえ、ラテンのお店あるから行く?」と言って、「行く行く!」という、ちょっとシュラスコ料理屋さんに行くぐらいの雰囲気で行けて、わからなかったら、メレンゲぐらいだったら何とか踊れるみたいな、その楽しさがあるのは本当にサルサだけだと思うから、そこは絶対に、より残さなきゃいけない。

その楽しさをより強調して残さなきゃいけなくて、そこを私は練習会場にしちゃいけないと思うんですよ。だから、練習したかったら、それこそジャズとかみんな普通のダンサーの子がレンタルスタジオして、ばりばり練習して、汗かいてとかという、そういうかっこいい世界もあって、表舞台に立つ人もいて、パフォーマンスとかコンペは年代別によってモチベーションも変わってくるだろうし、そのパフォーマンスだけやりたいという人と、コンペに出たいという、これまた違うから、私、4本立てぐらいでいけば、マーケットも広がるし、絶対いいと思うんですよね。どこが悪い、いいじゃなくて。_DSC0108

つづく

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