[su_heading size=”21″]ラテンとは[/su_heading]
「ラテン」という言葉から思い浮かべるイメージは人によって異なるものの、その多くが「陽気」「情熱的」「熱狂」などとポジティブな印象で捉えられている。
同時に「ラテン」の解釈も様々であるが、このサイトではカリブ海を中心として南北アメリカ大陸に同心円に広がるスペイン語文化圏とする。
ラテンの国々では音楽とダンスは日常的な娯楽として浸透している。
音楽のみ、あるいはダンスのみを楽しむのではなく音楽とダンスは常に共存し切り離せないものとして存在している。
人々が集い、話に花が咲き、歌が始まり、それに合わせて踊る。はるか昔から現在まで、日本でも世界でも不変の文化として音楽とダンスは共存し根付いている。
そのように身近にある音楽とダンスの「ラテンワールド」をより詳しく知るためのガイドとして、エピソードや歴史を交え、ここでご紹介しよう。
[su_heading size=”21″]ラテン音楽とダンスの種類[/su_heading]
ラテン音楽とダンスは常に一体である。従って例えばサルサ「音楽」の歴史ついて語ることはサルサ「ダンス」の歴史を語ることと同義であると言える。
「サンバ」はブラジルを代表するダンス。17世紀頃、ブラジル北東部のバイーア(現在のサルバドール)に居住していたアフリカ系黒人奴隷の踊りと音楽に様々な要素が加わり発展した。人々の生活に根付き多様化しながら今なお進化している。
ちなみにブラジルは南米大陸のなかで唯一ポルトガル語を公用語とする国である。
「タンゴ」はアルゼンチンを代表するダンス。1880年頃、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスと、ウルグアイの首都モンテビデオに挟まれて流れるラプラタ河が、大西洋にそそぐ河口地帯の両岸で生まれた。移民の男たちが荒々しく踊ったことが始まりとされ、男女の駆け引きをなどを表現するようになった。近年ではピアソラやミュージカルでブームが再来している。
SALSA (サルサ)
サルサが生まれたのは1970年代。キューバやプエルトリコ等カリブ海の音楽がベースとなっている。「クラーベ」という独特のリズムバターンが特徴。サルサはスペイン語で「ソース」という意味。いろいろな素材やスパイスが混ざり合ったソースのように音楽もダンスも土地や時代によって変化し、その多様性がサルサの最大の魅力といえるだろう。
FANIA ALL STARS (ファニア オール スターズ)
サルサがサルサとして誕生したのはニューヨークのファニアレーベルによる。そのサルサの誕生を記録したのがこの映像で Nuestra Cosa (Our Latin Thing) と呼ばれている。ちなみに日本の有名なロックバンド「サザンオールスターズ」の名前はファニアオールスターズが由来とされている。
MAMBO No.5 (マンボ ナンバーファイブ) by Perez Prado
マンボは多くの日本人がラテン音楽として認識している。特にこのマンボナンバーファイブは大変有名で、1950年代に世界を席巻したマンボブームの代表的な音楽である。1970年代初期に誕生したサルサにとってマンボは年上の兄といえよう。
Buena Vista Social Club (ブエナ ビスタ ソシアルクラブ)
1990年代に世界的にヒットしたブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの代表曲である「Chan Chan (チャン チャン)」はキューバの「ソン」というジャンルの楽曲である。そしてこの「ソン」もサルサの兄のような存在である。
日本のヒット曲のサルサバージョン
上記サイトでは日本の名曲をサルサアレンジにカバーしたものを紹介している。
音楽としては先に述べたようにクラーベというリズムに乗せそのリズムを強調したアレンジでサルサの味付けができる。
CLAVE (クラーベ) について
サルサ音楽のベースとなるリズムパターン。クラベスという楽器で演奏される。
クラベスとは日本の拍子木に似た二本の棒でこれを叩き合わせて音を出す。
クラーベの意味は「鍵」で、音楽的な「キー」でもある。基本的なリズムパターンは下の図を参照してほしい。
8カウントで一つのバターンとして、前半4カウントで2拍、後半4カウントで3拍を2-3クラーベと呼び、その逆を3-2クラーベと呼ぶ。
下の映像では3-2クラーベからスタートしている。
サルサライブなどで客席から自然に発生する手拍子の多くがクラーベのリズムである。
従ってこのリズムパターンを覚えるとサルサが聞こえるどの場面でも、場と一体感を得ることができる。
MERENGUE (メレンゲ)
カリブ海にあるドミニカ共和国の発祥。2ビートの音楽に合わせて2ビートのステップを繰り返すのが特徴。リズムに乗りやすくそして踊りやすくダンスの楽しみを手っ取り早く感じるには最適である。
音楽的にはアコーディオンやギターなども入った楽曲が多く、ヨーロッパの要素をより強く感じることもできる。
ドミニカ共和国では政治宣伝の手段として利用されたこともある。メレンゲに限らずサルサなどにも政治プロパガンダ的な内容もある。プロパガンダの媒体 (メディア) として使われる、つまり大衆の音楽として日常的に生活とともにあることのひとつの表れである。
メレンゲミックスリスト
こちらのサイトではラテンクラブ等でよく聞かれる代表的な曲がまとまっている。
単純で踊りやすいリズムはヒップホップやハウスミュージックとの親和性も高くクラブミュージックとしてメレンハウスやメレンラップという発展を遂げている。
メレンハウスミックスリスト
BACHATA (バチャータ)
メレンゲ同様、ドミニカ共和国の発祥。4拍子の音楽でステップとして4拍目にアクセントを置くのが一般的な踊り方。スローテンポな曲が多く甘いラブソングなど近年爆発的な人気を誇っている。
JUAN BAUSITST ASESINA sin matar
70年代から80年代のヒットの一曲。雰囲気がどこかのんびり土臭い感じがする。
2018年バチャータミックスリスト
2000年代に入りバチャータは大きく進化して楽曲の雰囲気も洗練されたものとなっていく。それに合わせてダンスも盛り上がりを見せ、センシュアル・バチャータ、モダンバチャータ等様々なスタイルが発生して進化をしている。
[su_heading size=”21″]サルサダンスのスタイル[/su_heading]
ダンスは時代や地域によって様々なスタイルがある。
ここでは当サイトで中心に据えているサルサダンスについて代表的なスタイルの一部をご紹介する。
ラテンダンスは音楽のリズムととても深い関係があるが、リズムをどのように解釈して踊りにつなげるか?
音楽を、ワン、ツー、スリー、フォーと数えながら(カウントしながら)ステップをすると音とステップの関連性が分かりやすくなる。
サルサダンスの「ベーシックステップ」と呼ばれるステップは、前後に動くことが基本。
前に動くときは左足が一歩前へ、後ろには、右足が一歩後ろへ。
この前後に一歩ステップすることを「ブレーク」と呼ぶ。このブレークするタイミングを音楽のカウントに合わせ、カウント・ワンでブレークすることを「On1(オンワン)」と呼ぶ。そしてカウント・ツーでブレークすることを「On2(オンツー)」と呼ぶ。
それぞれのカウントにはいくつかのスタイルがある。
代表的なサルサダンススタイル
On1(オンワン)では、LA(エルエー)スタイル、Cuban(キューバン)スタイル、Colombian(コロンビアン)スタイル等。
On2(オンツー)では、NY(ニューヨーク)スタイル、Ballroom(ボールルーム)スタイル、PuertoRican(プエルトリカン)スタイル、Contra tiempo(コントラ ティエンポ)等。
スタイルの名前は上記のように、場所・地域で呼ばれることが多く、それはサルサの多様性や広がりを表しているとも言える。
この10年ほどラテン系(スペイン語圏)で盛り上がっているのがレゲトン(Reggaeton)。
ヒップホップの影響を受けたキューバ人やプエルトリコ人によって生み出されたといわれている。
Latin Pop (ラテンポップ)という商業的にも最も影響力を持つジャンルとして世界的なヒットが数多くある。
レゲトンは前述の通りヒップホップの影響を受けており、ダンスもシングル(1名)で踊ることがほとんどである。上記のサルサ、バチャータやメレンゲ等ペアで踊ることが基本となって踊るダンスとの最大の違いと言える。
また、複数のペア(2組以上)が同時に踊り、リーダーの掛け声に合わせて同じ技を繰り出す踊りを「ルエダ(Rueda)」と呼びキューバ―が発祥と言われている。
家族や知り合いが集まった時のレクレーションとしてラテン諸国ではよく踊られているスタイルである。
On1 Count Pair Dance
On2 Count Pair Dance
Bachata
Merengue
Reggaeton
Rueda de Casino
[su_heading size=”21″]歴史[/su_heading]
ラテン音楽のルーツ(概要)
1492年のコロンブスのアメリカ大陸の発見は、ラテン音楽発生のきっかけとも言うことができる。その後のいわゆる「大航海時代」「三角貿易」といった流れがラテン音楽の発生と密接に係わってきた。多くのアフリカの原住民、主に西アフリカのコンゴ等の地域の人々が西欧人により植民地である南北米大陸・カリブ海諸島に労働力として連れてこられることになり、それに伴いアフリカ原住民の文化、音楽も移植されることとなった。また、被植民地である地においては元々の住人の淘汰と入植者の混血もあり、文化、音楽にも大きな影響を与えることになった。
同時にアフリカの宗教はキューバ等でも生き残り、儀式でも太鼓などの楽器が使われている(サンテリア)。このような宗教と儀式としての音楽は、現在のサルサにつながる重要な流れでもある。
サルサを中心とした音楽の歴史
1492年 | コロンブスのアメリカ大陸発見 |
1500年代 |
三角貿易によって多数のアフリカ人が南北アメリカ大陸、カリブ海諸島に労働力として連れてこられる。 ヨーロッパ強国の植民地となったカリブ諸島では白人、黒人、先住民等の血が混ざりあい文化も混ざり合うこととなる。 |
1920年代 |
アメリカ合衆国禁酒法時代→キューバの観光ブーム アメリカ合衆国の多くの人々が(酒を求めて)キューバに行った。ホテルやカジノなどの多くのレジャー施設ができステージではビッグバンドの演奏とともにダンスショーが華やかに演じられた。このムーブメントは1959年のキューバ革命まで続く。 |
1930年代 |
1931年「エル・マニセロ(南京豆売り)」が百万枚の大ヒット |
1940年代 |
キューバミュージック(ソン)の楽団編成の拡大化など マンボの台頭 アルセニオ・ロドリゲスやフェリックス・チャポティーン、マチート、ティト・プエンテらが、それぞれ大規模な楽団を率いて、パラディウム・ナイトクラブ (NY) を拠点に活躍。 |
1949年 | ペレス・プラード「マンボNo.5」 |
1950年代 |
ニューヨーク等の大都市にカリブ諸国からの移民(ヒスパニック)が爆発的に増加 チャランガ編成(フルート、ヴァイオリン、ピアノ、ベース、打楽器等による楽器編成)によるチャチャチャやパチャンガもキューバから導入され、様々なスタイルのキューバ由来の音楽が存在した。 |
1959年 | キューバ革命 |
1961年 |
アメリカ合衆国とキューバの国交断絶 NYにプエルトリコやキューバ等カリブ海諸国の人々が残されることとなった。 公民権運動とカウンターカルチャーとしての音楽 人種差別の撤廃を目指す公民権運動の高まりとともに人種のアイデンティティが意識される。ブルースやソウルミュージックが黒人音楽のアイデンティティとして、その後ロックに発展したようにヒスパニックとしてのアイデンティティを表現した音楽としてサルサが誕生したとも考えられる。 |
1960年代初頭 |
ヒスパニック系コミュニティでブーガルーのブーム ヒスパニック系のミュージシャンが、ソウルミュージックとマンボを融合させたデスカルガ(ジャムセッション)が頻繁に行われた。 |
1964年 |
ジョニー・パチェーコはジェリー・マスッチとともにファニアレコードを設立し一大レーベルとなる。 |
1971年8月26日 |
ファニアオールスターズ ナイトクラブ「チータ」でのコンサート ⇒この時の記録映像が”Our Latin Thing” となる |
1973年8月24日 |
ファニアオールスターズ、ニューヨークのヤンキースタジアムで4万人の観衆を前にコンサート |
ラテンアメリカ諸国でのサルサの拡大 サルサはアメリカ合衆国以外の近隣諸国に圧倒的なスピードで広まり各地の音楽と混ざり合い多様な変化をしていく。 |
|
1970年代後半 |
キューバとの交流も一時的に可能となり、サルサはキューバ音楽に影響を与えた。 |
1980年代 |
サルサ・ロマンティカの台頭 恋愛のロマンスを扱った歌詞、スムーズなサウンドとメロディーが特徴。ニューヨークやプエルトリコの音楽市場を占める。 |
1985年 |
グロリア・エステファン「コンガ」:ロックやヒップホップ、R&Bとクロスオーバーしたラテン・ポップ |
1980年代後半 |
ニューヨークやプエルトリコでは、ドミニカ共和国の音楽であるメレンゲがブレイク |
1989年 |
オルケスタ・デ・ラ・ルス ファーストアルバムをリリース 。 ビルボード誌ラテン・チャートで11週間にわたって1位を獲得 |
1990年代 |
世界各地への拡大 サルサの人気はラテンアメリカ諸国だけではなく、ヨーロッパや日本、アフリカにも広がり、世界各地でサルサのシーンが見られるようになった。 サルサ・ロマンティカの人気に対する揺り戻しで、60年代から70年代の雰囲気を感じさせる「クラシック・サルサ」を演奏するアーティストが世界中に存在するようになった。 |
1993年 |
オルケスタ・デ・ラ・ルス NHK紅白歌合戦に出演。日本人の音楽としては初めて国連平和賞を受賞。ハウスミュージック、レゲトン、テクノなど様々な音楽とクロスオーバーを続けて進化。 |
2000年代 |
バチャータのリニューアルと流行。 |
2015年以降 |
アメリカ合衆国とキューバが国交正常化を発表。 |
*参考文献:NPO法人日本サルサ協会認定指導員教本