[box color=red] 初めに・・

サルサとその環境は日々変化をしています。

6月に風営法の改正があり、今まで関心を示していなかった様々な業界がダンスに興味を持ち始め、サルサに限らずダンス界は大きな刺激を受け、かつ変化をして行きそうです。

その中で、サルサを「生業(なりわい)」としているインストラクターやイベンターが今後何をしていくのか、どのような取り組みが必要なのかということを考えて実行していくことは日本のサルサにとても必要なことだと、SHJは考えています。

SHJでほとんど毎日のようにインストラクターやイベンター、また他の業界の方たちといろいろな話をしていますがそれぞれがとても意義のある話です。

また、このような話を通して今後SHJがサルサに対して何ができるのかということのヒントがあったり、刺激を受けます。

そして、こういう話をSHJと関係者のみにとどめておくのはもったいないように感じました。

先日、主に関西で活動するサルサダンスインストラクターPedroさんの生徒さんが、日本サルサ協会の理事長を務めるサルサダンスインストラクターMikaさんのイベント「大手町ロマンティコ」に出演することになました。

出演にあたって「まずは自分が挨拶をせなあかん!」とのPedroさんの申し出でMikaさんのスタジオに伺いました。なんだかんだと2時間程サルサについて話が盛り上がりました。そしてこれはぜひ、みなさんにも知っていただきたいこと、共有すべき内容だ!と考えたのです。

新たに場を設定して、この時に話をした内容を再現、というかより広い範囲でのサルサの話をしましょう!ということになりました。

以下は、その時のお話をまとめたものです。

二時間ほどにわたった中身の濃い話だったので、数回に分けて発表することになりました。

コンペティションのことから始まり、日本のサルサや将来のイメージ、団体のこと、子供たちのこと、サルサ以外の舞台やステージのことなど話は多岐にわたっています。

ボリュームがとても多くなっていますが、少しづつでも皆さんにぜひ読んでいただきたいと思っています。

Pedroさんが、Mikaさんが、SHJのKentaroがサルサをどうとらえて今後どのようにしたいのか?それぞれの夢を語りました。そして我々がここで話題に出てきたことを今後どこまで実現できるのかといったことも注目していただければと思います。夏の暑い盛りですが、外気に負けず熱いトークをしました!ぜひどうぞ!

鼎談とは?→三人が向かい合いで話をすること。その話。ちなみに二人の時は「対談」。四人以上になると「座談会」とか。。鼎(テイ、カナエ)とは中国古代の器物の一種。足が3本であることから、3という数を表すことがある。[/box]


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Mika

8歳から社交ダンスを始め’94年から3年連続で史上最年少全日本選手権大会『アマチュアラテンチャンピオン』に輝く。数々のダンスショーやTV・雑誌などに出演。振付指導も行う。

その後、キューバ人ダンスパートナーと出会いサルサダンサーへ転身。2001年キューバ国立民族舞踊団留学。2002年ダンススタジオカシーノ開校。2008年NPO法人 日本サルサ協会設立。サルサダンスの普及に務めている。

Pedro

Los Valientes代表。SHJ主催 日本サルサダンスコンペティションで審査員長を務める。その他にイベント等でも審査員を務める。

世界最大のサルサイベントであるLA サルサコングレスに日本人初の特別ゲストダンサーとして招待されその演技では会場のスタンディングオベーションを受ける。

子供たちのダンスへの取り組みも長年にわたり行い、海外のチャンピオンシップにおいて優勝のペアの指導も行う。

Kentaro

1996年夏、偶然に入ったSalsa Caribeで、自分の世界を見つけたとの衝撃を受ける。

ダンス以上にラテンの雰囲気、気質に意気投合してしまい、2001年に脱サラをしサルサ業界に入る。サルサダンスは石川裕子&Manuelが主宰するLos Salserosに学びダンスよりも、そのラテン的な気質を、良くも悪くも?!学ぶ。

2009年、Salsa Hotline Japan(SHJ)入社。2014年よりSHJ代表を務める。

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Pedro, Mika , Kentaro サルサを語る!! その1

2016年7月28日 ダンススタジオカッシーノにて

協力:すえめぐさん by クラウドワークス


Kentaro:今回テーマの一つとして、日本のコンペティションをこれからどういうふうに進めていくかということと、それにつながって、日本のサルサだったり海外のサルサだったり、またサルサを今後形で広めていくにはどうするか?あるいは盛り上げていくには?ということを、ざっくばらんに話してもらいたいと思っています。

また、サルサ協会のMikaさんと、SHJに大変協力を頂いているPedro先生がこうやって対談をしていますというのは、見ている人にとってはすごくインパクトある話じゃないかなというのもあると思っています。

Pedroインパクトありますか?

Mikaなかったりして。〔笑声〕

コンペティションがもりあがるとインストラクターの仕事も増える?

Kentaro:ということで、出だしは先日のサルサダンスコンペティションを振り返って、印象だったり、感想だったり、そういうところからいろいろお話を聞ければなと思っています。ではMikaさんから。

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Mikaここ何年かで、今まで海外に出ていった方たちとかは、もともとコンペティションがどういうものかというイメージはあると思うんですけど、(コンペティションのイメージが)日本にはあまりなかったように思います。

コンペといっても結構私服で出たりしている人というのが多い中で、ここ2、3年ですごく、コンペティションの踊り方、あとソーシャルだったらこの踊り方、パフォーマンスだったらこの踊り方というような枠ができてきたのかなという感じはして、すごく成長してきたなというか、同じサルサというジャンルのマーケットの中でも、ちゃんとそれぞれの特色が出てきたなという感じは受けました。

Pedro確かにそうですよね。教える側もコンペティション用に教える。ソーシャル用に教える。どういうふうな踏み方をしたらコンペに向くのかとか、どういうふうな踊り方したらソーシャルに向くのかというのは、実際に伝えるようになってきましたね。

Mikaだから教える側も、その技術を身につけていないといけないというか。すごくありがたいのは、教える側の仕事の内容も増えるし、それによって仕事の幅が広がるだけ、仕事のチャンスも増えるから、ああ、よかったのかなと。

Pedroそうですね。確かにクラス自体も、専門性になってきたら、どんどんそういうクラスがつくれますもんね。そういうのをまた教える人も育てていかないといけないですね。ただただみんなの経験値だけでやると、これはまずくなってくるということだから、そこをやはり少し整理していきたいですよね。

コンペティションというものを発展させるには。特に日本は独特な発展の仕方をサルサ自体がしていると思うので、そのあたりも加味しながら、やっぱりコンペはコンペとしてやっていかないと、世界の路線から外れてしまうと、外へ出たらもう全くダメというふうに、そうならないようにするためにも、やはり教育する側もしっかりと教育を受けていかないと難しいかなと思いますね、これからは。

Mikaだから、例えば今までon1を教えている先生は、レベルの違いはあれど、1クラスみたいな。あと違いといったらターンの専門のクラスとか、何かそうなっていたのが、細かい1個の技術じゃなくて、ソーシャル向け、パフォーマンス向け、コンペティション向けとなると、1人の先生がその技術持っているだけでも3つ違うのができるから、それだけでもクラス増やせるし、だからそういうのは本当によかったんじゃないかなと。

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Pedroもともとが、こういう話をすると、Mika先生はプロの観念で物を見るじゃないですか。これが普通に話をしていくと、これはどうだ、これはどうだというふうに、趣味の話になっていってしまうということなので、それがやっぱり、だんだんプロとして成り立っていかないと、この業界自体が。

じゃないと、どうしても好みが先行してしまって、それを言っていると、全てに発展がない。やっぱりコンペとソーシャルに差があるように、先生の中にも、しっかりと線を引いていける先生が必要だと思うんです。話をしていても、楽しい話になる、先が読める話になるのと、何となく、ぼやっとしていく話になってしまうというのが、それがプロとしてこの業界で育っていかないと、そういうふうにならないんだと思うんですね。

だからやっぱりMika先生とこうやって話をして、いつも意味を感じるのは、やっぱりそこですよね。話が進んでいく。

Mika趣味の話ってどんな?

Pedroこれをやりたい、あれをやりたい、これはやりたくない、あれはやりたくない。プロというのはそういう業界じゃないでしょう? でも、お仕事1つとして考えたときに、それはもうあり得ないじゃないですか?

Mikaうん、やらなきゃいけないから。

Pedroそう。やらないといけない。片づけていかないといけない。そうじゃないと、やっぱりメイクアップしていけない、すべてにおいて。

それを生活のベースに考えていったときに、サルサというものがやっぱり生活できるものになっていかないと、日本のサルサというものが。その発展の意味を込めて、コンペティションというのがどんどん先へ進んでいけばいいなと思うんですよね。

だからコンペティションというと、もちろん競争の世界であって、でも競争するには、みんなが競争していないとダメで、競争するというのは、ただ忌憚なく競争するわけでもなく、ルールの中でしっかりと競い合って、先生同士もやっぱり競い合わないと、教え方も競い合わないと生徒は育たないし、生徒は出たら出たで、そこでやっぱり競ってもらわないと、先生は困ってしまうし、それが発展していくと、プロ社会として成り立っていくんじゃないかなと、そういうふうに期待していますね。

だからこういう対談をさせてもらうと、そこに何となくいろいろな光が、もうないかと思うところに、だんだん見えるんですよね。だからわざわざ関西から出てきて。〔笑声〕

Kentaro:ありがとうございます(笑)。

Pedro(鼎談当日の)連絡もないのに、今日あるのかないのかわからないのに私が先に来て、(オーガナイザー: SHJが)遅れるかもしれません。こんなことはないですね、プロの世界では。(笑い)

Kentaro: はい、申し訳ありません。

プロとはどういうことか?プロの定義とは?

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Kentaro:と、いわゆるダンスでやるプロというのは、どういう定義ができますか? ダンスに限らなくても。

Mikaプロの定義ってすごく難しいと思うんだけど、細かいジャンル分けせずに言うと、ある一定のレベルは、どんなに調子が悪くても、よくても、この一定レベルというのは常に提供できますよというレベルを満たしている人。

でも、だからといって、爆発的にいいときがあるわけでもないというか、その安定性じゃないかなと私は思っていて。

何でかというと、アマチュアはずば抜けていいときがあって、「わ、すごい。あの子ってこんなだったっけ?」というときと、「あれあれあれ? どうしちゃったの? 同じ子だよね?」という、例えば会場の雰囲気であるとか、お客様が乗せてくれるときってあるじゃないですか。あとはその会場自体が自分にすごく合うときと、すごくプレッシャーに感じちゃうステージとか、会場や自分が置かれている環境にブレることなく、安定した自分が提供しなきゃいけないものを提供できる人がプロかなというふうには思う。

だからそのコンペでもしかりで、プロのコンペは、ずば抜けてヘタクソだなという人はあまりいない気がします。

Kentaro:イベント仕事をやっていると、「自分はプロだから出演するのに、これだけお金ください」と言う人がたまにいたりするんだよね。確かに職業としてやっているのはわかるし。だけど、じゃ、この人に5万円払って、お客さんが10万円分来るのかといったら、ちょっとそうは思えない。

あるいは教えて食べているから、プロだから、やらせてくれ。あるいはお金取って教えているから、プロだから、こういう基準でやってくれみたいなことを言われちゃうと、ちょっと僕はすごく疑問に思って。それは確かに教えて食べるのかもしれないけど、それが=プロ、というのも違うのかなというふうに僕は思っているんですけどね。

Pedroダンサー的な話はもうMika先生にお任せして、ブロダンサー。「ダンサー」とつくので、ちょっとややこしくなるような気がするんですけど、ただ、すべてにおいてプロフェッショナルというものに関して思うことは、当たり前のことが当たり前にできる。踊りももちろん、その専門職として当たり前にできる。

それについて、自分が特に思うのは、コミュニケーションについても、本当に初歩的なことでいえば、挨拶もきっちりできて、ちゃんと仕事をつなげていける人。その後のアフターフォローもしっかりとあって、この人に仕事を任せたいなと。この人に踊ってもらいたいなと。

この場所ではこの人に踊ってもらいたいというイメージのつく人がやっぱりプロフェッショナルで、ダンサーとつくと、特殊技術になってしまって、でも、この業界というか、すべてにおいてそうなのかもしれないけども、特にサルサの業界は特殊だというふうに考えている方がおられるので、そうではなく、当たり前のものとしてとらえないと、当たり前の世界で当たり前に活躍していく世界はつくれないと思うんですよね。

その場にいて、仮に、じゃ、サルサの人の前で踊っているときは、すごく爆発力も人に称賛されると。でも、そのまま外に出ても称賛されないと、プロフェッショナルダンサーとは言えないと思うんですよね。それはサルサにおいても、どれにおいてもそうだと思うんだけども。

ほかの競技の人をぱっと間近に見たときに、やっぱりどうしたって、こうしたって、興味がなくても素晴らしいと感じてしまうのがプロだと思うのね。やっぱり、そこかなと。

ダンサーとしての資質とかというのは、本当に自分はよくわからないんですけど、でも、求められた仕事がきっちりとできる人、それでいて人の心をつかんでくれる人。でも、「わしづかみにする」とよく言うじゃないですか。そうじゃなくて、プロってすごくソフトにタッチしてくれるような気がするんですよ。何か嫌味がなく、でも残っていて、また見たいなと思うもの。わしづかみにされると、お腹いっぱいやなという(笑)。

そういう感じにも――サルサはそういう情熱というふうに表現される方も多いんだけども、すべてにおいて情熱だけかといったら、そんなこともないと思うんですよ。何かすごく静かな踊りも実際存在するし、見ているだけでホロっと来るような踊りも実際サルサにあって、それをすごく使い分けられる人。

音楽とか振付に対して使い分ける。さっきMika先生が言われていたみたいに、場所によっても使い分けられる人。すべてが全部同じテンションでやられても、ちょっと違うよねという。狭い場所で汗が飛び散っても、ちょっと違うよねみたいな。

それもそれでいいんだけども、何かその場所によって踊りをフィックスできる方、何人かそういう方を見たことがあるんですけど、なりたいなと自分が思うような人、やっぱり憧れを抱ける人がプロダンサーかなと。_DSC0039

シルク・ドゥ・ソレイユ、ミュージカル、歌舞伎

Kentaro:今の話聞いて思ったんだけど、つい先日、歌舞伎座に歌舞伎を見にいって、お台場に『シルク・ドゥ・ソレイユ』を見にいった。

両方ともやっていることの中身の濃さと完成度というのはものすごい高いんだけど、今のPedroの話で言うと、歌舞伎座の役者たちは、本当にうまくその辺バランス持ってできる人。で、『シルク・ドゥ・ソレイユ』のやっている人たちは、多分もう「あれ」しかできないんだろう、みたいな。

Pedro私も『シルク・ドゥ・ソレイユ』見ましたけど、先日。もう技術に特化していて、そのパーツパーツで切るとすばらしいんですよね。

言葉がアレですけど、「えげつない」と関西ではよく言いますけど、そんな感じなんだけども、ステージとしてのつながりがどういうふうに理解していいのかというのがわからなくて、そこでいくと、今度ミュージカルとか。ロンドンで去年ミュージカルを見たんですけど、『レ・ミゼラブル』を見たときに思ったのは、もう素晴らしいつながり。

ミュージカルあまり好きじゃないんだけど、勉強のためによく見るんですね、ニューヨークに行ったときとか、事あるごとに見るんですけど、何でしょうね。高い声から――すごく素人的な言い方で。〔笑声〕高い声から低い声までを、その感情や場面によって使い分けられる。その1人はその役しかできないんじゃなくて、多分ほかの役も十二分にこなせるんだと思うんですよ。

その人をそこへ持ってくる意味とか、すべてがちゃんと整っていて、そうすると多分歌舞伎とかというのは、私は経験がないんですけど、多分そういうものにも通ずるものがあって、『シルク・ドゥ・ソレイユ』の場合だと、そこにしか当てはめられない人だったりするのかもしれないですね。だからそこのつながりに違和感を感じたりするのは、やっぱりここの場面が切れてこの場面に行くときに、ここをつなげる人がいない。

ペアやグループ同士はつながりがないという、そういうふうに感じるかもしれない。『シルク・ドゥ・ソレイユ』、十分にお金を出す価値がある、その1つ1つに対して。でも、そのホール〔全て〕のステージとして、考えたときに、何かミュージカルのような。自分は、つくりたいという思いが強いので、そこにすごく特化して見てしまうので、余計に何か体のあの筋肉が、、とか、そこにも興味はありますけど、何かその全体の流れをすごく重視したときに、以前の――今もやっていると思うんですけど、コルティオとかを『シルク・ドゥ・ソレイユ』で見たときには、つながりがすごく感じられて。

Mika私、昔の『シルク・ドゥ・ソレイユ』のほうがよかった気がするんだよね。

Pedroどうなのかわからないんですけど、自分も本当に好きですね、昔のが。

Mika昔のほうがストーリー性があって。私、あまり最近、見にいかなくなっちゃったのは、ものすごくアジア的な要素が強くて、中国に焦点当てているかもしれないんだけど、あまり日本人としてそればかり、雑技団的なものって、ああ、きれいだけど雑技団的だよね、みたいな。

でも、それよりは、どちらかというと、もうちょっとつながりの持てるもののほうが、昔あった気がする、みたいな。

Kentaro:歌舞伎はね、自分も興奮というか、気持ちが入ったんだけど、やっぱりあの歌舞伎座に入った瞬間に、ちょっとワアッという感じで。前に見たところはパリでのミュージカル。あれもすごかったもんね。

Pedro何?

Mika『カルメン』というのを見て、それで笑っちゃったんだよね(笑)。「キューバンカルメンやっているから、見にいきましょうよ」と言って、2人で見にいったはいいけど、フランス語字幕のスペイン語のセリフでのオペラで、2人とも「わからない…」と。2人ですごく時差ボケでうとうとしながら、ダンスのシーンになった途端に2人とも目が覚めるみたいな(笑)。

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Kentaro:舞台というか、しつらえから全然違うから。歌舞伎座も、たまたま最前面で見ていて、そうすると木を打つ人が目の前に出てきたり、全部としての様式美。その中で役者がいて、主役、あるいはセリフを言っている役者がいるんです。5、6人ぐらい後ろに控えているシーンだったんだけど、控え方がかっこいいんだよね。何もしゃべらないけど。

いないようでいて、いるようでいない雰囲気がすごくあるんだよ。だからみんなでわあっとしゃべっているんじゃないんだけど、多分「みんなで合議をしています」というシーンで、1人1人しゃべっているんだけど、動かないんだけど、みんなちゃんと動いている感じに見える。

だけど、見えないときは見えないみたいな、本当すげえなと思った、あの様式美というのは。

Pedroサルサ自体の舞台をつくっていきたいねというふうな話を以前させてもらったときに、じゃ、今の話の流れでいくと、サルサコンペティターたちをそこへ持っていくと、舞台に。

上位何組をそこへどんどんつぎ込んでいくような形をこれからとっていくと、それがステータスになるような舞台をつくっていくというふうに考えたときに、まさに1つ1つの踊りはいいと。

でも、それを組み合わせたときに、どういうふうな舞台になるかということ。こういうのをつくる人間たちがやっぱり、かなり勉強していかないとMika先生も先週言われていたみたいに、脚本家であったりとか、そういう勉強もしないと、何かこう、1つ1つはいいよねと。じゃ、2回目、リピーターとして、歌舞伎のようにとか、オペラだったり、ミュージカルであったりとか。

自分はエジプトでオペラ『アイーダ』を見たんですけど、7時間ぐらいあって、もう言葉はわからないし、舞台に立っている、壇上の人間も何か足掻〔あし・か〕いていたり。〔笑声〕長すぎて。前の人は電話で話したりとか、それもスピーカーで。

何かそういうのはつくりたくない。行って、笑い話で、それもいいと思うんだけども、何かそうじゃなく、次いつあるんだろう(次に期待したい)みたいなのとか。

Mika「あ、作品替わったんだ」みたいな。7時間はないよね。

コンペティションは舞台演劇につながる?

Pedroそういうこと(次もまた行きたい)が話題になるような、何かそういうものをつくりたいなと思います。

このコンペティションというもの自体を発展させる上で、海外に出て順位をとっていくというものと、またその国内での活動の幅も広げたりじゃないと、結局は海外。

確かに海外、みんながみんな出ていければいいんですけど、それだけでは多分、特に日本では発展しないと思うんですよ、そういうことだけでは。海外に出るということ自体にまず抵抗がある方が多いので。

まず国内でしっかりと受け皿をつくって、海外にも道がある、国内にも道がある。選択肢、コンペティターたち。全員に選択肢とは思わないんですけど、やっぱり勝ち残っていった人たちに選択肢がないと、それを目指そうという人は増えないですよね。ただ何か勝ちました。その先は(こう続きますよ)というふうに。

Mika今、その先がないからね。

Pedro本当にそうですよね。だからそこでやっぱり指導者はみんな、それをどういうふうに伸ばしていくかということに悩むんだと思いますし、だからそれをそれぞれやっぱり整備していきたいし、整備していけば、逆にいえばプロフェッショナルな人の精神も、身体的にもそういう方でしかやっぱりだんだんできなくなってくると。

そうすると、さっき最初に話にあったような、自分はこれで稼いでいると自称をする方。もちろんそれで稼がれている方もおられると思うんで、それは一概には言えないと思うんですけど、でも、やっぱり環境を変えないと、そういうことは変わらないと思うんですよ。生まれたものからもすべて整っているものなんて、ほとんどやっぱりないんだから、だからやっぱり環境整備。それによって多分、今こういう議題に上っていることもすべて解決されていくんだと思います。

こういう対談にしても、私たちはみんな環境整備をしたいわけですよね。それがテーマ、根底にあって、それでまず何かをわかりやすいものとしたときに、コンペティションだと思うんですよね。だからそれ(みんながわかりやすいこと)において、サルサダンスコンペティション、日本の。それとMika先生のジャパンカップ、これはやっぱりうまくつなげていかないと。まず国内で2競技があると。

そうしたら、それだけで年間で2つの目標がまずできる。これが時期的に春と、今秋ぐらいにちょうど分かれていますよね。そうしたら年間で2つここに競技があるとすると、まず、計画が立てやすい。

ただ、こっちとこの2つのつながりが、もう少しクリアになっていかないと、目指しにくい。今は単発で目指しているみたいな感じなんですよね。その単発で目指したものから、放射線状に分かれてしまっていて、みんなどこに行ったかわからないみたいな。

そうならないように、それを逆にしていく。放射線状から人は集まってくればいい。けど、こっちへ先がつながって鋭くなっていかないと、やっぱり今、こういう感じなんですよね。

上に広がってしまっていて、どこを目指していいかわからないみたいな。

私たちも実際、どこを目指させていいのかわからない。これはやっぱり整備したい。その中で、やっぱりジャパンカップというもの、私は日本サルサダンスコンペティション、(それぞれの立ち位置を)やっぱりクリアにしていくべきだと思うんですけど、Mika先生には、前もお伝えしましたけど、ジャパンカップをクリアに伝えていただきたい。

こういう機会に伝えていただいて、特に、これを読んでいる人自体がコンペティションに興味があったりとか、サルサ界に興味があるなら。

そのときに、私たち、自分自身も言うと、明日うちの高校生たちがMika先生のところに行かせていただくんですけど(7/29 大手町ロマンティコでHonoka,Hinataが出演)、まああの子たちにもこれから教育しないとというのは常々言ってはいるんですけど、自分たちの紹介文書くときに、自分の名前だけぽんと書くわけですよね。すると、「あんた誰?」と、普通はそう思うよ。

私も外へ行って、「Pedroです」「誰?」ってなるじゃないですか? だからやっぱり、「何々の何々です」ということが、当たり前のことなんだけども、これがクリアにちゃんと出ていかないと、やはり私もニーダ君からよく言われるんですけど、「これじゃ、わかりませんよ」みたいな。先生だけわかっていると思っているだけでという(笑)。

でも、その当たり前のことがちゃんと伝えたいわけじゃないですか、私たちは。そうしたときに、私もジャパンカップというものをはっきりわからなくて、Mika先生とお会いして話をして、じゃ、それだったらもっとこうしましょうよというふうな思いが出る。

でも、やっぱりその意見がいろいろあるというと、多分ジャパンカップは大きくなるんだと思うんですよね。やっぱり興味があって、大きくなればいいと思っているものにしか意見は言わないので。興味がなかったら言わないですし。

あと、やっぱり自分たちもそうですよね。サルサであったりとか、ケンちゃんがサルサを外に持っていこうとしているのは、興味を抱いてほしいからだよね。もっとマーケット化したい。

自分、サルサダンスコンペティションのマーケットだけではなく、やっぱり子供の、Mika先生ともお話ししましたけど、子供を増やしたい。Mika先生は今のところでいくと、ジャパンカップをまず、もっと前に出してもらいたい。

ジャパンカップという名前は知っているんですけど、その趣旨であっとりとか方針、あとその先と、あとどういう参加要項で、どういうふうにそれをクリアそればそこに出れるのかとか、あと会場がどういう場所なのかとか、そのあたりが多分、もし私がコンペティターだとすると、すごく気になる部分とかがいっぱいあるんですよね、出ようという気持ちでいると。私にもよくHPが粗いとかって言われるんですが。何かこうわかりにくいと(笑)。

でも、私はできないんですけど、もしお客で行くとしたときに、ここ出たいなと思ったときに、HP、どこまで載せるかはちょっわからないですけど、そこに会場の雰囲気であったりとか、以前出た人のコメントが出ていたりとか、わかりやすく、アクセスしやすかったりすると、多分、SHJなりMika先生のところなり、私のところでも、リンクとかそのつながりがやっぱりもっととれていると、多分もっと参加者増えると思うし、ジャパンカップに人が増えると、そうするとサルサダンスンペティションにも人はすごく出るんですよね。

相乗だと思うので、だからやっぱりどっちも人をふやしたい。できるんであれば、どっちにもやっぱり尽力はしたいんですよね。

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つづく

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