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エドウイン物語(映画エルカンタンテ出演振り付けへの道)

1997年に、世界で初のSALSA CONGRESSがPRのサンファンで開催されました。

僕は日本人13人を連れて、始めて世界のサルサに触れました。僕も含めて、ほとんどの日本人参加者がダブルターンさえ出来ない時代でした。

世界から500人のサルサファンが集まりました。これが全ての,サルサの時代、今や世界中で開催のサルサコングレスの時代のスタートだったのです。

1999年にLAでアルバートがWEST COAST SALSA CONGRESSを開始し、日本では僕がJSCをスタートしました。
日本では約150人のJSC参加者でした。

LA CONGRESSで世界中の多くのコングレス主催者と知り合うようになり、NYのDAVID MERENDEZという主催者とも,僕は知り合いました。
サルサを広げようという意識の持ち方が、僕は徐々に、国と人によって違うのがわかってきました。

DAVIDはNYの最下層の街の少年達が非行に走らないようにするための、ひとつの手段として、UNITY THROUGH SALSA”サルサを通じての人との調和”を教えたいと願う人でした。そして、彼が作ったグループは“HEART BREAK BOYS"。(昨年JSC来日の際、エドウインの従兄弟で、グリセルのパートナーのバウディリオ君Baudilio Riveraも、現在セレナとパートナーを組んだジェローム君も、このハートブレイクボーイズ出身)

その子供達に夢を与える協力を、僕は、要請されました。
夢とは、”どんな環境にあっても、サルサを通じて、多くの国に行き、踊る事で人を幸せに出来る!”でした。

2001年、HTB(HERAT BREAK BOYS)を日本に招きました。16才中心の子供達ダンサーでした。
NYの彼等の御両親達は、貧乏です。彼等の街は強盗遭遇率が100%の街、決して、夜ともなれば、見知らぬ人は生きて歩けない街と言われてますが、僕は、その危険,貧乏の姿がわかりませんでした。
彼等の両親は慈善パーティをやったり、車の窓を磨いたりして、子供達の渡航費を必死で作りました。僕は交通費と飲食、ホテル代をなんとか工面しました。

”サルサをしっかり踊れれば海外にも行く事が出来る!”DAVIDは、それをSALSA KIDSにも伝えて、夢を彼等に与えたかったのでしょう。

2001年のJSCの会場で、そのグループのリーダーの16才の少年,EDWIN RIVERAを僕は見ました。世界のサルサリーダーのALBERTも、彼を始めて見ました。
彼は、誰とも違う眼の光り方でした。

そして、ALBERTは、彼を認め、LAで彼の親代わりになり、大学に通わせました。
日本では、僕が叔父代わりになり、僕の家に泊めて、生活をさせました。
決して、僕は彼に贅沢はさせませんでした。

彼は、地下鉄の駅から歩いて10分のとこにある、僕の家に着くと必ず、こう言いました。

“UNCLE GEORGE!僕は夜でもちゃんと,独りで歩いて帰ってきたよ!
僕の街では考えれられない事だよ!夜に安全に歩ける!だなんて。”

彼は日本全国から参加希望の人達のグループ、PROJECT ASIAを作りました。
30人近いメンバーです。
熊本、福岡、広島、松山、京都、東京のメンバーが集まり、距離を越えての練習を積んで、LA CONGRESSに登場し、夜の部でPFをし、賞賛を得ました。

EDWINの振り付け能力に注目が集まってきました。

2005年のLA CONGRESSでEDWINはSOLOで踊りました。
サルサの歌手であり、ダンサーとしても評価の高いロベルト ロエナの映像と共に、その物まねを、ひとつの作品にしました。

そのPFの後、数週間して、EDWINが話した事のない人から電話をもらいました。
エドウイン君はぶっ飛びました!
電話の主は、マークアンソニー、この人が、世界で一番人気のサルサシンガーである事は誰もが知っているでしょう。

マークが言いました。”うちの奥さんが、サルサの映画を作るんだけど、君にその映画の総合振り付け監督をお願いしたいんだけど、、NYの僕の家に来て、話しを聞いて欲しいんだ。”

マークアンソニーの奥さんと言えば、J-LO ,ジェニファ ロペスじゃないですか!

EDWINはふたりの家に赴きました。ジェニファが迎えました。

緊張しながらも、ジェニファと意気投合しました。とても可愛がられもした。プエルトリコ等での映画のレセプションに引きづりまわされた程です。
何故、そんなに彼をジェニファが可愛がったかと言うと、ジェニファもまた、彼の生まれ育った街 ブロンクス育ちの子だったのです。当時のジェニファの住所を,エドウインが聞いてみると、エドウインの家とは数ブロックしか離れてな
いとの事でした。
御近所さんだったのです!

ジェニファは、世界で最下層のその街、ブロンクスを出て、いつか踊りと歌で生活出来る夢を持ち、それが実現しましたのです!
エドウインは亡きDAVIDが与えたサルサで、ブロンクスを出る事が出来たのです。

”この街を出る!”それを、この二人は成し遂げたのでした。

サルサ映画“EL CANTANTE"の日本上映は全米で公開後3年して,日本でやっとでした。はっきり言ってヒットしませんでした。当時の折からのドラッグ問題で、メディアでの宣伝が、全く出来ませんでした。
ある意味で、映画EL CANTANTEはドラッグストーリーでもある訳で、悔しいですが、いたしかたないところです。ただ、あの映画はサルサファンの宝です。

その映画で、振り付け監督のEDWINはダンサーとして、また俳優としても参加しています。映画のステージのシーンでマッシュルームヘアーでソロで踊っているのが、エドウイン君です。ポスターにも写真入りです。

彼はまだ27才です。

僕達、日本人の想像さえ出来ない差別されるプエルトリコ人の最下層の街、そこで夢を描いたEDWINとジェニファーが、偶然にもサルサで出逢って、その夢を実現させました。

さらに、EDWINの夢は大きいです。
昨年  癌で亡くなった彼の恩師、DAVIDの意志をくんで、SALSA KIDSの育成にも乗り出しました。
実際プエルトリコでこの夏、キッズサルサコングレスを彼が開催します。今日は、彼のCDがMTVでも使われるようになったニュースから、急きょ、今日は、彼のストーリーとしました。彼のこれからの夢にも注目です。

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